
最近は、子供の服の好みがどんどん変わっていきます。
昨年の今頃はまだまだプリンセス一辺倒で、毎日「今日はアナで明日はエルサ」のような日々だったのが、昨年夏頃から少しカジュアルに、本人曰く「ヒップホップ」な感じのお洋服になり、その後はダンスのお姉さんたちの影響で少しギャルっぽいお洋服をつい最近まで着ていたのですが…。
最近は、『SING』という映画に出てくるアッシュというエレキギターを弾いてロックを歌うヤマアラシの女の子に憧れているらしく、日々、赤と黒のチェックやレザー調のスカートを好み、主な色も黒でなければいけず、以前着ていたようなピンクやレインボーの服は一切着てくれなくなりました。
その度に好みに合う洋服を買い揃えなければいけないので、毎回親は大変です。
(お下がりやセカンドハンドにかなり助けられてはいるのですが…)
それでも、私はいいかなと思っています。
それには二つ理由があるのです。
今日は少しそのお話を書いてみたいと思います。
服を通して、「自分に必要な要素」を取り入れていく
一つ目の理由は、そうやって様々な洋服を着たり、それに合わせて振る舞いを変えたりすることを通して、彼女は無意識のうちに、世界の中から「今の自分に必要なもの」を取り入れて、同時に自分の中にあるそれらの部分を生きているように見えるから。
強い憧れや「好き」という気持ちは、プロセスワークの枠組みで見るなら、「二次プロセス」(自分の中にすでにあるけれど、まだ統合されていない部分)に触れている時期ともとれるかもしれません。
人は時に、自分の中にあるけれど、まだ「自分のもの」としては生きれていない性質やエネルギーを、外の世界の誰かや何かの中に見出します。
そして、強く惹かれたり、憧れたり、真似したいと思うことを通して、それらを少しずつ自分の中に取り込んでいく。
その結果、外に見えていたものが少しずつ自分の内側にも居場所を持ち始め、自分のものとなっていく。
ただ眺めているだけではなく、実際にその服を着て、その世界観をまとい、その気分で振る舞ってみるというのは、大人であれば、照れ臭かったり、自分には似合わないから…などと思って二の足を踏んでしまいがちです。
でも、子供はそれをいとも簡単に、自然な流れでやってしまう。
誰が教えたわけでもないのに、外の世界から自分が心惹かれるものを見つけ、それを取り入れようとし、しっかり堪能したら次の世界へと颯爽と移っていく姿を見ていると羨ましく、また頼もしくもあります。
どんどん外の世界から惹かれるものを見つけ、その度に自分の中に取り入れ、自分と世界を切り離さず、自分の生きる世界を豊かにしていってもらいたいと思っているというのが一つ目の理由です。
私自身の傷も見つめ直す

二つ目の理由は、私自身が「小さい頃に着たい服が着られなかった」という思いを、今でもどこかに持っているから。
私は、子供の頃に、自分が着たいと思う洋服を着られた記憶があまりありません。
記憶にあるのは、音楽の発表会や誰かの結婚式で、他の子達がフリフリのかわいいドレスを着ているのに、自分だけ黒や大人っぽい模様のシックな洋服やカジュアルなストリート系の格好だったりしたことです。
もちろん私の中にも、幼い頃にはお姫様のようなピンクのかわいいフリフリのお洋服を着たい、という気持ちや憧れはあったと思います。
けれど、親の好みもあって、それらはあまり叶わなかった。
自分の中を丁寧に見てみると、そこで満たされなかった思いは、後々少しずつ形を変えて、ピンクという色が苦手だったり、かわいいものを素直に自分に取り入れられなかったり、自分にはかわいいものは似合わないのだと思い込んだりと、自分の選択肢を狭めていたと思います。
また、自分が「これが好き」「これが良い」と感じるものを、そのまま「良い」と言うことのハードルも、気づかないうちに高くなっていました。
結果として、自分の着たい服やスタイルを見つけるのにも、かなり時間がかかりました。
今ではずいぶんそれらを乗り越えて、私なりの「かわいい」を取り入れたり、自分のスタイルが少しずつ見えてきていますし、子供に「子供が望むかわいいお洋服」を(特にプリンセス一辺倒期に)着せることを通して、自分自身が満たされている部分もあったと思います。
ただ、ここまで自覚的にたどり着くには、それなりに紆余曲折がありました。
もちろん、私の親には親なりの事情があり、親(特に母親)が育った時代背景や環境、そこで抱えた服やジェンダーにまつわる傷つきが影響していることは、大人になった今なら分かります。
なので、今さら文句を言いたいわけではありません。
(と、いうか、20代に十分文句は言ってきて、聞いてもらってきたので…苦笑)
ただ、そうした自分の経験があるからこそ、私はなるべく子供に無理に自分の好みを押し付けず、子供が着たいと思う洋服を着させてあげたいと思うのだと思います。
(もちろん、TPOはあるのですけれどね)
子育てを通して、自分も回復する
子供を育てるということは、ただ子供の成長を見守ることではなく、自分がかつて置き去りにしてきた思いや願いを、もう一度拾い直すことでもあるのだと思います。
もちろん、子供に私の傷を背負わせたいわけでも、その傷をケアする役割を負わせたいわけでもありません。
けれど、子供がその時々に惹かれるものを、自然な流れで取り入れ、全身で生きようとする姿を見ていると、私自身もまた、自分の「本当はこうしたかった」に気づかされることがあります。
大人になった今の私は、過去の傷からただ反応するのではなく、意識して別の選択をすることができる。
だからこそ、なるべく自分の好みを押し付けず、その時々の子供が惹かれるものを尊重しながら、親もまた少しずつ回復していけたらと思うのです。
